きらきらネームは、インターネット上で注目される代表的な “ネタ “です。しかし、実際にキラキラと読める名前、聞こえる名前をつけられた人がいるのです。その一人が赤池宮司である。彼はこの名前でどのように生きてきたのか、なぜ名前を変えようと思ったのか。それを知った彼の両親は、どのような反応を示したのでしょうか。日本中が注目したニュースの中から、「あの人」を追った新刊『人生はまだ続く』(読売新聞社会部「あれから」取材班)から抜粋してお届けします。
[写真】赤池さんの中学時代の卒業アルバム「赤池王子様」。
宛名は「赤池王子様へ」。
”改名 “の許可が下りました! !!!! !!!! !!!”
2019年3月7日のこと。18歳、高校3年生だった赤池がTwitterに投稿すると、転載(リツイート)は瞬く間に10万件を超えた。その反響は驚くべきものだった。
高校卒業を前に、一人で家庭裁判所を訪れ、親からもらった名前を変更した。改名前の名前は「王子様」。王子様」が本名だったので、年賀状の宛名は「赤池王子様」だった。
この名前では、生きていくのが大変だった。だから、自分の意志で変えたんです。新しい名前は「はじめ」です。一歩を踏み出すことにしたのです。
私が生まれたのは、甲府盆地の真ん中にある山梨県昭和町。人口は2万人ほど。物心ついた時には、すでにみんなから「オジさん」と呼ばれていた。友達も先生も親しみを込めて「オジさん、オジさん」と呼んでいた。
いじめられることは一切なかった。ところが、小学校の低学年の頃になると、なんとなく自分の名前が変かもしれないと思うようになった。
病院の待合室でフルネームで呼ばれた時、他の患者さんたちはみんな私の顔を見た。赤池王子、あなたは……」と、電話の相手は言っていた。電話の主も言いにくそうにしていた。
近所の商店街で、見ず知らずの人が私を指差して、「あれ、王子様だ」と言った。カラオケ店で会員登録するために「赤池王子様」と本名を書いたら、偽名だと疑われたのだろう。あからさまに怪訝な顔をされた。
なぜ「オジ様」なのか。この名前をつけたのは母親である。以前、学校の授業で名前の由来を聞いたことがある。